2005年10月30日

2nd Day

(cant type Jap sorry)

Got here in Delhi with no prob last night, though I heard people here are avoiding to go to the markets just until the end of this festival. Other than that, its a nice sunny day so I went for a short walk and other than that sort my things in the room, watered the plants etc.

Anyways, this is the room i'll be staying till I find my own place.
my room.JPG
sweet


posted by とうごサン at 19:04| 大分 ☀| Comment(58) | TrackBack(2) | India | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

Delhi

There was few explosion in NewDelhi a little while ago.
I just wante to say that I'm in Bangkok and getting on the plane in few min to delhi so nothing serious happened to me at least. Better rush though, will send more msg when I have a chance.

Peace

Togosann
posted by とうごサン at 22:02| 大分 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | India | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月12日

■ダラムサラの彼

Dharamsala

ダラムサラはアッパーupperとロアーlowerに分かれる。写真はダライラマ法王が暮らすマクロード・ガンジー(アッパー)の中心地だ。マクロードは旅行者目当ての店が集まる小さな町だが、ロアーと常に行き来するジープやオート・リキシャで中心地はいつも混雑している。

ここに一人の酔っ払い浮浪者がいる。たぶんチベット人であろう彼は3年前とほぼ同じ格好で行く人々にちょっかいを出している。最後にあったときから一度も洗っていないだろう彼の顔には瘡蓋ができており、血が滲み出ている。その容姿からも近寄りがたい彼ではあるが今回ちょっとしたエピソードがあった。


ダラムサラに着いて数日経過して歯茎が疼き始め、仕舞いには瘤取り爺さんみたいに頬っぺたが腫上がってしまったのだ。「こんな所で虫歯かよ!?」と最初は思ったがどうも歯茎の傷から細菌が入り込んで腫れただけでとりあえず一安心。薬を摂りこの日も残り少ないダラムサラを楽しむため町へと向かった。

かなり面白い顔ではあったが、行く先々で知り合いや、知り合いでもない人々にも心配されアドバイスをしてくれた。そんな中、意外な人物にも心配されたのだ。そう、唇のまわりは明らかにこんなコブよりも痛々しい瘡蓋があって普段は酔っ払っている彼。彼は「アッレー」と言い、首をかしげ覗き込み、チベット語で「布をお湯で温めてそれを当てるといい」と一生懸命教えてくれた。

日本にもイギリスにも浮浪者はいる。ただ、インドの場合浮浪者はまだ社会の一部としてアクティブに受け入れられている、そんな雰囲気が残っている。これはインドがけっして経済的に裕福ではないというのが関係しているが、文明社会の影の存在として扱われている彼らとそうでない彼ら、どっちが幸せか正直わからない。

ダラムサラの彼と一時的にだけでも言葉を交わし理解しあえた事で、自分の世界に一人の生きている人間として彼が現れ根を下ろした。知らず知らず排他的になっていた自分の姿を見、反省し、また一言でもいいから言葉を交わすと言う事の大切さを再度認識した。
posted by とうごサン at 04:24| ロンドン ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | India | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月09日

■ルンタ・プロジェクト

Lung-ta Project

Lung-ta(風の馬)は人々の願いを天の神々の所まで届けてくれるとチベットでは信じられていて、ダラムサラでもこの「風の馬」を刷った五色の旗があちらこちらで掲げられています。

チベットの人々の切実な思いが「風の馬」により天に届いてほしい、そんな思いから1998年に日本人有志によってルンタ・プロジェクトはダラムサラにて設立され、現在では亡命してきたばかりのチベット人に当面の住居を提供したり、語学(英語、チベット語、ヒンドゥー語)の学習、技術(手工芸、調理、コンピューターなど)の習得、また、雇用の確保などを目標に活動をしています。勝手ながらこのNGOの紹介と評価を自分の知識をもとに少しここでしたいと思います(関係者の方々ドキドキですね、笑)

NGOとは?

80年代爆発的に増えたNGOではあるけれど、現在その多くの有効性について疑問の声が上がっている。けど、そもそもなぜNGOが爆発的に増えたのか?

80年代前半は開発界の欠点が叫ばれた年でもありました。理由は国を主体とした経済支援やネオ・リベラルといわれる自由経済主義による政策にもかかわらず多くの国々の経済が根底から崩れたのが大きな要因です。そして経済大国の国々が伸びる中、他の国々はさらに貧困の道を突き進み、それらの国々から絶望的な叫びがメディアを通して一般市民に届くようになりました。そこで考えられた対案がNGO(非政府団体)ということになる。

NGOの特徴としては、名前のごとく政府機関でない事。これにより政府機関ではできなかった様々な活動が可能になります。例えば政府機関の人道的支援というものは議会を通したりしなければいけなくて時間がかかる、それに対して個人レベルで運営されているNGOはすばやくニーズに反応する事ができる。又、政府による支援は政治的にも大きな問題がある(民間への援助は内政干渉になりかねない)のとは対照的にNGOはいたって自由に活動をする事ができるのも利点になってきます。政府機関の支援は社会の上層部からの支援になりがちなのに対してNGOは社会で一番支援が必要とされている下層部からの支援ができるという点も重要。

ではなぜ90年代後半からその有効性が疑われているのか?それはNGOの欠点が明らかになったからです。NGOは多くの場合支援金によって運営されていてこれがネックになっているとのこと。支援をしているのは裕福な国々の一般市民だけれど、それを獲得する競争がNGOの間で必然的に始まってしまいました。こうなるとそれぞれ活動をしている国々の下層市民のニーズよりもまずは「結果」、それも目に見える結果を求める活動が主体となってしまい、長い目で見た支援というものがないがしろになってしまっているケースが増えてしまい実際そういうケースが多く出てきました。又、個人レベルで自由に活動が行なわれているために政策がバラバラで統一性がないし、活動をしているNGO同士の競争(本来は協力するべきものなのに)により混乱するコミュニティーも現れ始めたという点も一役かっています。

ビバ!!ルンタ・プロジェクト

私自身は“助成金を得るために立ち上げる企画”とか“補助金を得るために多少無理してでも条件を整える”なんてのがあまり好きでなくて、「今あるお金でできることを」「やれる範囲でできることを」「やりたい人がやれることを」と考えてきました。(日本事務局代表 藤田裕子、ルンタ通信vol.10、2004年4月15日、P.18、より)


ここで述べているようにルンタ・プロジェクトの今までの活動はNGO全般に問いかけられている資金源と実際のニーズのバランスが取れているという意味で高く評価されるべきだと思います。活動内容も亡命してきたチベット人の自立を目標としている点や情報発信の場として機能している点、現地での収入(非営利団体の日本食レストラン)や海外からの収入(手工芸工房で作られた製品販売)により前に述べたNGOのドナー主体批判があてはまらなく、又、資金繰りも安定しています。ただ同季刊誌にもあるよう今までボランティアは当然、スタッフまでも完全無給でやってきたルンタは、「スタッフの方、どうやってそんなすごい事ができるの!?」と、こっちが心配するほど個人に負担がかかっているという事も事実で、今後少しずつ変わっていく事は避けられないでしょう。

その変化が今年の7月に見られます。ルンタを立ち上げた一人で中枢をなしていた高橋明美さんが8月からアメリカ、ブランダイス大学の大学院で国際開発学の修士号を取得するために一時活動から離れる事になり、社会学の研究者で南アジアでの海外勤務経験のある榎木さんという方を有給スタッフとしてルンタに迎えることになったのです。ただ、今まで「やれる範囲でできること」を確実にやってきていて基盤がしっかりしていることからも、これは今後の活動のことを考えると当然踏み出すべき一歩であると自分は思っています。頑張れルンタ!!更なる発展を期待してます。



ふとしたきっかけからボランティア経験をさせてもらったルンタは今後も関わっていきたいと思わせる心地よい雰囲気があります。その地道な活動はけして楽なものではなく多くの障害はこれからもあるだろうけれど人道的支援というものはそう言う要素を絶対に欠かせないものだとも思います。次いつまた訪れる事ができるのかまったくわからないけれども、必ずその日は来るだろうと確信したとうごサンでした。
posted by とうごサン at 23:38| ロンドン ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | India | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月08日

■原点・ダラムサラ

インド北部 デリーから夜行バスで約13時間、そこにダラムサラはある。タイトルにも書いたように今の自分の原点でもある場所だ。

Dharamsala2

7ヶ月間ボランティア活動という貴重な経験をさせてもらったダラムサラ、そこは毛沢東率いる中国軍の侵略により母国をおわれたチベット人が暮らす山腹の町。

平和学という学問に触れフィールドでの経験の重要性を実感した自分は3年前、ネットでルンタ・プロジェクトという日本人によるNGOをネット上で見つけた。

当事チベットの悲惨な歴史や仏教の知識などこれっぽちもなかった自分ではあったけれどダライラマ法王の平和活動ぐらいは知っていた。そのダライラマ法王が暮らすこの町での生活はそれだけで充分ではあったけれど、なによりもそこで触れた様々な知識や人々との出会いは今後薄れる事のない自分の貴重な財産となった。

その場所に卒論を終え行ってきたのだ。

posted by とうごサン at 20:29| ロンドン ☔| Comment(7) | TrackBack(1) | India | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月02日

■Funcional Anarchy

インド・ダラムサラのネットカフェより発信です。


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インド・デリー


雨季の前で気温が日中40度を超える首都デリー。今の時期インド人も旅行者も基本的にやる気がない。勿論自分もその一人、さっそく涼しいダラムサラへと向かうバスのチケットを購入、そしてしばしデリーのマーケットをうろつく。

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何に関しても楽しむコツとは心に余裕を持つことだと思う。余裕を持てない人は不思議と次から次へとトラブルに巻き込まれる、だが逆に心に余裕を持っている人はすばらしい経験をつむことができる。インドにくると自分のそういった実力が試される。だから好きなんだ。

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常識?そんなものは存在しない。ここは Functional Anarchy つまり機能する混沌社会 インド

posted by とうごサン at 20:36| ロンドン 🌁| Comment(3) | TrackBack(1) | India | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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